老いたりといえども

私は悪名高い団塊の世代のひとり。
すでに70を越えている。
が、枯れてはいない。
まだ働いているし、居住地でも動いている。
冬日和といっても、生々しく生きている。

時事問題に詳しくないからあまり書かないが、気がかりなことは多い。
米国は世界戦略をアジアにシフトし、対中国に本腰を入れつつある。
日本の米軍基地はより強化される方向にあるようだ。
日本は中国との経済的つながりが深いが、米国と中国のはざまでどう舵取りしていくのだろう?
福島原発の汚染水の海洋放出も気になる。
ミャンマーも気になる。
東京オリンピックは早く止めちまえ!新型コロナ対策にもっとまじめに取り組め!といいたい。

私はスマホをもっていない。
ガラケー派である。
使えるうちはガラケーを使おうと思っている。
一方、私はパソコン依存症で、部屋ではほとんどパソコンに向かっている。
テレビをもっていないので、パソコンから情報をえている。
パソコンに文や図を入力し、それらをパソコンに保存する。
視力が弱いので印刷された文はほぼ読めないが、パソコンの画面では設定によって読むことができる。
音楽はパソコンに録音し、パソコンで聴くことが多い。
カメラで撮った画像はパソコンで編集し、ごまかしている。
もしパソコンが壊れたら、私は深刻なダメージを受けるだろう。

今日か明日、ディスプレイが届く。
iiyamaのE1980SD-B2 、スクエア型19インチ。
パソコンにディスプレイを2台つなぎ、デュアルディスプレイにする。
一方のディスプレイに文を表示させ、それを参照しながら他方のディスプレイで文を入力したい。

美術を観る趣味は少しある。
どちらかというと古い東洋美術が好きである。
これは、老人的かな?

音楽はよく聴く。
といっても、ながら族だが。
クラシックはどちらかというと静かな曲を聴く。
youtu.be

アンナ・ビルスマは古楽器による生き生きした演奏のブームを引き起こした立役者のひとり。
演奏家は皆そうだと思うが、ビルスマは深い思索で真摯に音楽に取り組んでいるイメージがあった。
彼は2019年に亡くなっている。

一方、老いたりといえど、こういう曲も聴く。
youtu.be

何ともドラムが乗りに乗っている。

歳をとって日々感じるのは、身体の衰え、短期記憶の衰え。
しかし考え方はあまり変わらないように思う。
曲に対する好みも変わらない。
そして何となくまだ若いつもりでいる。

都営住宅の自治会の役員になって思うこと

5年ほど前、都営住宅に入居した。
この辺りは都営住宅が多い。
多摩川土手が近くにあり、緑が豊かで、散策に適した小路も多い。
よいところだと思う。

入居した翌年、自治会の役員に誘われ、つい引き受けてしまった。
複数の棟が集まってひとつの自治会を結成しており、各棟毎に役員会があるが、それとは別に各棟合同の執行部があり、その役員を引き受けてしまった。
今年で4年目に入った。
最初は団地内のことはちんぷんかんぷんで、自分の居場所がない感じで、嫌でならなかったが、徐々に自分の役割がはっきりしてきた。
また、いろいろな人を知ることができた。
嫌なこともあるが、悪いことばかりではないと思うようになった。
私の主な任務はさまざまな文書の作成と管理。
しかしそれだけではなく、いろいろな苦情への応対などがあり、結構いそがしい。
いつも、あれもしなければ、これもしなければ、と追われている感じがある。

自治会の役員になって思うのは、他人任せの住人が多いということ。
自治会はいわば民主主義の学校のようなものだが、自治会においてすら民主主義があまり機能していない。
とくに執行部は、役員の成り手がいないので、近いうちに消滅するかも知れないと思っている。
そうなれば、今の自治会は分裂し、各棟別に自治会を結成することになるかも知れない。
それだけではなく、都営住宅はもともと高齢者の比率が高いが、高齢化がさらに進めば、各棟別の自治会すら消滅するかも知れない。
そうなれば、管理をどこかに委ねることになるかも知れない。
というより、そうなるだろうと思っている。
自治会活動の無駄を省き、活動を縮小するとか、役割をうまく分散させ、役員の負担を軽くするなどの工夫がないと、自治会消滅の時期は早まるだろうと思う。
現状では一部の役員に大きな負担がかかっている。

私は防災対策と高齢化対策にもっと力を注がなければならないと思っているが、それを提案したら、高齢者が多いから無理ですと反対されたことがある。
私自身、これ以上役員の負担が増えることは勘弁してもらいたいという気持ちもある。

メインアカウントとサブアカウントの使い分けはバレてしまうか?

私はメインアカウントサブアカウントで別のブログを書き分けている。
仮に、メインアカウントでブログA、サブアカウントでブログBを書いているとする。
メインアカウントサブアカウントがともに私のものであることがバレても構わないが、どちらかというとバレない方がよい。
2重人格者としてそれぞれに専念したい。

しかしメインアカウントサブアカウントが同一人物のものであることは画面を見ればわかる、という記事があった。
確かに、メインアカウントでブログAにログインし、次にブログBを開くと、ブログBの上段にはメインアカウントが表示されている。
下段にはブログB固有のサブアカウントが表示されている。
メインアカウントサブアカウントも表示されているので、メインアカウントサブアカウントが私のものであることがバレてしまうのではないか、と私も思った。

しかし、別のユーザーのパソコンでもそのように見えているのだろうか?
私はパソコンを2台もっているので、もう1方のパソコンでブログを開いてみた。
上段にログインを促がす表示がある。
ログインしなければ、当然アカウントは表示されない。
下段にはそのブログ固有のアカウントが表示されている。
もう1方のブログを開いても、同じだ。
私がログインした状態で他のはてなユーザーのブログを見ると、上段には私のアカウントが表示される。
下段にはそのブログ固有のアカウントが表示されている。
つまり上段に表示されるのは、あくまで私がログインしたアカウントであって、そのブログ固有のアカウントではない。
これをよく考えると、メインアカウントサブアカウントが同じ人物のものであることはバレないのではないか、と思われる。
私ははてなブログを始めたばかりで、わからないことが多いが、今のところはそう思っている。

それとも他のユーザーが私の2つのアカウントを調べる方法があるのだろうか?
まあ、バレてもよいのだが。

老眼に複視に白内障

子供の頃、視力は2.0。
いや、それ以上かも知れない。
山の木々の葉の間から蝉の透明な羽がわずかにのぞいているだけで、それを見つけた。
遠視の人は早めに老眼が出るという。
40歳頃には老眼鏡なしでは文字を読めなかった。
その後、老眼は進んだが、限りなく進むというということはなく、ある程度のところで落ち着いた。
今は度数3または3.5の老眼鏡を使っている。

ところが、60歳頃から複視が出てきた。
複視はものが2重にずれて見えるが、私ははっきり4重に見えたことがある。
複視があると、ものの輪郭がわかりにくい。
知人と道ですれ違っても顔が見分けられない。
困るのは、文字が判読しづらいこと。
複視の原因はさまざまで、脳に由来するものもあるらしい。
また白内障が原因になる場合もあるらしい。

2~3年くらい前からか、パソコンの画面の文字の色が異様に薄くて読みづらくなった。
その読みづらさがどんどんひどくなった。
これは紙に印刷された文字もそうで、文字の色が薄すぎて背景の色と区別できない。
文字が見えない。
これは白内障が進んできたためだろう。

ところが、kindleの画面設定を白黒反転表示にすると文字がくっきり見えた。
これは大発見だ。
今はパソコンの画面も色を反転表示している。
ハイコントラストの設定で、背景を黒、テキストを白で表示している。
そして思いついた、蔵書を裁断し、PDFファイルにして、色を反転表示してはどうか。
PDF化すれば拡大表示もできる。
そうすれば本棚が要らなくなり、部屋が広くなる。
書類もPDF化すれば、整理しやすくなり、行方不明の書類を探して苛々することが減るだろう。
これはよい。
試しにブラザーのプリンターで書類をスキャンしてPDF化し、それをアドビのAcrobat Reader DCで開いてみた。
しかし反転表示できなかった。
どうもAcrobat Reader DCはPDFファイルによって反転表示できる場合とできない場合があるように思う。
次に、SumatraPDFというソフトで開くと、これは反転表示できた。
今は私はSumatraPDFを常用している。
ただ残念に思うのはテキストの一部をハイライト表示したり、線を引いいたりできないこと。
しかしぜいたくをいってはいけない。
私はフリーのSumatraPDFに感謝している。

パソコンの画面を長時間見ると目にダメージがあるだろう。
しかし背景を黒に設定すると、目はあまり疲れない。
おそらく目のダメージは減るのではないだろうか?
PDFファイルの色反転表示を要望する声は結構あるように思うが、それに応じるPDFソフトは非常に少ない。

それにしても、背景を黒、文字を白にすると、何故、文字がくっきり見えるのだろう?
思うに、白い部分の面積が大きく、黒い部分の面積が小さい場合は、白い部分から来る大量の光が白内障の水晶体内で散乱し、結果的に網膜に映る黒い部分の像を乱してしまう?
しかしこの逆、つまり白い部分の面積が小さく、黒い部分の面積が大きい場合は、水晶体内で散乱する光が少なくなるので、散乱による影響が少ない?
何となくそう考えている。

白内障は手術で治療するしかないのだろう。
嫌なことだが、いずれ手術しなければならない。

私の好きな川柳

私は文学はほとんど読まない。
フィクションに時間を費やすのは馬鹿馬鹿しいと思うところがある。
心が狭い、あるいはゆとりがない。
が、川柳は短いので許容範囲に入っている。

昔、苦しい時期があったが、心にゆとりをもたらす見方ができたらよいと思い、川柳に興味をもった。
苦しくても、それに呑みこまれるのではなく、それを客観的に捉え、できればそれを許容しうるような見方ができたらよいと思った。
確かに、笑いにはそういう側面があると思う。

苦海なり鉛筆がきの手紙来る  岸本水府

友からの痛切な手紙に驚いているような句だが、ちょっとおかしみも感じる。
手紙の唐突さを強調し、自分とのずれを示して、その痛切きを相対化している。
しかし突き放すのではなく、どうしたものかと戸惑っている感じもある。

鍋底を洗い宿命とも思う        斎藤栄

何かリアリティを感じるが、私はおかしみも感じる。
しかし宿命という言葉の重さを実感しなければ、どうってことのない遊びの句と思われるかも知れない。

接点をやたらにいじり過ぎないか  青木晴嵐

端的な表現におかしみを感じる。
しかしてその意味するところは広く、人生訓から界面化学にまで及ぶ?

確かに、川柳にはおかしみのある句が多い。
しかし川柳を読むにつれ、それだけではないと思うようになった。
川柳をもっと広く考えるようになった。
私は川柳におかしみだけを求める訳ではない。
ある種のリアリティがあるかどうかを重視する。

秋の野をことば飾らぬ友とゆく   神田仙之助 

私はこの句が好きだが、これは笑いの句ではない。
川柳でよくいわれる穿ち(うがち)もない。
真っ正直で大らかな句だと思う。
これに心が洗われる思いがする。

喜びの時にひときわ母の皺    岸本水府

これも好きな句だが、笑いの句ではない。
何か人生を感じさせる深味のある句だと思う。

つまらぬというは小さな知恵袋   六世川柳

ちょっと格言的だが。
つまらないというのは浅いとたしなめている。
確かに、何事も捉え方によってはつまらないということはないのかも知れない。

こしかたを思うなみだは耳に入(いり)  古川柳

夜寝つかれずに今までの人生を思うと、涙が流れて耳に入る。
リアリティを感じる。
昔の人の表現力はすごいと思う。

川柳はただの笑いや穿ちの文芸ではなく、もっと広い文芸だと思う。
川柳は人生の一行詩、という言葉があるが、
川柳を一言でいうならば、そういうほかないのかも知れない。

はじめに

冬日和とは、冬らしい空模様、あるいは冬の穏やかな晴れた日のことをいうらしい。
一生を季節になぞらえると、私はすでに冬に入っている。
天候不順の多かった年月を経て、今はやや穏やかな薄曇りの日和といったところ。

ブログを書くことにまだ迷いがある。
書きつづけることができるかどうか心配だ。
しかしブログは負担にもなるが、生きる張りにもなりうると思う。
書くためには調べなければならないから、それで少し世界が拡がるかも知れない。
また晩年ともなれば、今までのことを再考し、整理したい気持ちもでてくる。
ただしそれがただの思い出話しになると、私的でつまらないものになるかも知れない。
なるべく現在に立脚した書き方を心がけるべきだろう。

貧乏暇なしだ。
週3日の午前中、大きなマンションの清掃をしている。
長時間歩きまわるので、結構疲れる。
帰ってからぐったりしている。

5年ほど前、多摩川ぞいの都営住宅に入った。
不用意に自治会の役員を引き受け、すでに4年目。
しなければならないことが山積している。
来年は勘弁してもらいたいと思っている。

時間と能力の関係で、ブログの更新は遅いと思う。